2009/12/22

「鳥目」

歌舞伎や狂言、落語を見聞きしていると、時おり「お鳥目(チョウモク)」という言葉が出てくる。
これは、お金のことを表す言葉なのだ、というのは前後のつながりやら何やらで、類推できるのだけれど、その語源について、狂言の茂山千之丞さんの『狂言じゃ、狂言じゃ!』という本に出てきたのが
穴空き銭の形が、鳥の目に似ているところから、鳥目という
P.188
という記述。

なるほどねぇ~、と思っていたら、そのちょっと後に読んだ、種村季弘さんの『雨の日はソファで散歩』にも、この「鳥目」についての記述が出てきた。
江戸時代の銭貨は円形方孔、つまり丸い銭に四角の孔があいていた。これが鳥の目に似ているところから金銭のことをお鳥目といった。
                             「鳥目絵の世界」P.117
今の穴あき銭は、丸い形に丸い孔が空いているけれど、たしかに、写真や博物館の展示で見たことのある江戸の銭貨は、四角い孔が空いていたな・・・。

で、種村さんの方は、ここから絵画の技法についての話に発展していく。
ところがその下に絵がつくと、これまた意味が変わってくる。鳥目絵。文字通りバーズアイの俯瞰図のことだ。
さて、鳥目絵といって、誰でも思いたるのが広重『江戸名所百景』の「深川洲崎十万坪」だろう。


(略)
その眺望をもっと遠大にすると北斎「東海道名所一覧」のような鳥目絵になる。


(略)
師宣の「東海道追分間図絵」は現実の遠近関係を無視してまで海道筋の名所旧跡を派手に際だたせている、地図というよりその名の通り「図絵」だ。
「鳥目絵の世界」P.117-118
というふうに、鳥目は鳥目でも、こちらは鳥の目で描いた絵の話に発展してしまった。
ちょうど、種村さんのこの記述を読んだ時に、浮世絵の展覧会で、広重の「深川洲崎十万坪」を実際に見た間なしだったので、「あ、あれね!」と思ったのだった。

そして、種村さんは、これらの鳥目絵について、見たいものだけが描き込まれており、元禄から江戸中期にかけて、多く描かれていることから、町人が物見遊山を楽しむ余裕ができるようになったことから産まれた、と考察している。
奈良時代の「春日曼荼羅」から室町時代の各種洛中洛外図を経て、元禄期の温泉案内図や登山図を経て、近代の吉田初太郎らの作品にまで系譜だててみることができる点から、子供の遊戯や神事から生まれたものであろうと、考えている。

さらに、種村さんは春画と鳥目絵、そしてエドガー・アラン・ポーの「ランダーの別荘」という作品にまで論を広げていく。
春画と鳥目絵の同一視、もしくは対応関係は、一見突飛な思いつきと思う人もあるかもしれない。しかし、ひょっとすると、鳥目絵の本質はここにこそ露呈しているかもしれない。
人体(小宇宙)と山水(大宇宙)の対応と同一視。古来からの鳥瞰図は透視図法の未熟の産物ではなくて、むしろカッコとした宇宙・世界観の表現だったとわきまえるべきだろう。
「鳥目絵の世界」P.120
春画においては、秘部をことさら強調して描かれる。それは「見たいものだけを描く」という鳥目絵の特徴に通じている、というのだ。
そして、中井久夫が描いたポーの「ランダーの別荘」再現地図について
道教の胎生図たる内経図そっくりであり、さらには北斎や吉田初三郎の秘密くさい開口部がエロティックな窪みを形作っている山岳鳥瞰図にも酷似している。パノラミックな鳥瞰図が収斂していく先は、おそらく洋の東西を問わずに、胎生空間であるらしいのだ。
「鳥目絵の世界」P.122
たしかに、春画の構図のグロテスクなまでのアンバランスさ、というのは、「見たいもの」を強調しているのであり、山岳鳥瞰図にも似ている、というのにも、頷けるなぁ~と思った。
  

2009/10/22

「爆笑問題のニッポンの教養」FILE088は「カブキズム!」だった

毎回視聴する、というほど熱心なファンではないが、時々興味のあるテーマだと見ている「爆笑問題のニッポンの教養」(以下「爆問」と略す)。10月21日は河竹登志夫さんをゲストに迎えて、歌舞伎がテーマとのことで、見ていた。

河竹先生の著書


河竹登志夫『作者の家 第一部』(岩波現代文庫)









 『河竹登志夫歌舞伎論集









見ながらTwitterに要旨をUPしたので、そのログをもとに、まとめてみる。
歌舞伎座前から Na)歌舞伎座は2010年5月から建て替えに入る。
田中「今日たずねるのは、歌舞伎に関係ある方=河竹登志夫先生。ご先祖様が歌舞伎作者」
黙阿弥の写真 Na)幕末から明治にかけて活躍した天才歌舞伎作者。
VTR「白浪五人男」稲瀬川勢揃いの場(團十郎さん、菊五郎さん)
VTR「三人吉三」大川端の場(時蔵さん) 「こいつは春から縁起がいいわえ」
Na)数々の名台詞を残した。

VTR「古式手打式」にて演目を読み上げる河竹先生

VTR「寿曽我対面」三津五郎さまの五郎!w

河竹先生を訪ねる爆笑問題 研究室? デスクの上にはカエルのコレクションの一部
23:04 河竹先生は、カエルがお好き #kabuki #nhk #
河竹「自分は、両生類みたいな生き方をしてきたなぁと思う」

 



  • 23:06 天覧歌舞伎の解説をつとめ、早稲田大学名誉教授。比較演劇学を開拓。河竹「はじめから難しい、遠いものだと思わず、とにかく見てみよう!」 #kabuki #nhk #








  • 23:07 太田「学校から言われて、歌舞伎座に見に行ったけど、途中で抜け出していた。あの時代、アングラが面白かった」 #kabuki #nhk # 








  • 23:08 河竹「小劇場は、面白かった。歌舞伎と同じ。西洋流のリアリズムではありえない」





  • 歌舞伎は交流である
    幕がない=出雲の阿国がそうだった。



  • 「歌舞伎や小劇場というのは、垂直に来るけど、西洋リアリズム演劇は水平」 kabuki #nhk #





  • VTR「勧進帳」花道の飛び六法



  • 23:09 河竹「テレビとは違う、生の交流がある。今は鑑賞するものになっているけれど、昔はひとつの生活の場。錦絵を見るとよくわかる」 #kabuki #nhk #





  • VTR「菅原伝授手習鑑」車引 松緑



  • 23:10 河竹「客が率直だったから、よければ褒めるし、よくなければ物を投げたり騒いだりする。そういうお客を黙らせ、自分の芝居を見せるには、力がいる。今の歌舞伎は、そういう行儀の悪いお客との交流によってできた」 #kabuki #nhk #





  • 河竹「行儀の悪い客によって作られた。大衆的なエンターテイメントだった」

    太田「われわれにとっては、能・狂言・歌舞伎を一くくりに見てしまうが、それぞれはまったく違う? 歌舞伎はその中でも、特に自由だった?」



  • 23:11 河竹「歌舞伎ぐらい、どん欲な演劇はない」#kabuki #nhk #





  • VTR「スーパー歌舞伎 新八犬伝」



  • 23:12 太田「学校とは、いつもぶつかっていた。もっとダイナミックなものをやりたいと思っていた。自分の感情に近いものを表現したかったが、演技論を読むと、必ず型を学べと書いてあった。形を学ぶことで、心は後から入って行くと」 #kabuki #nhk #





  • VTR「王貞治の1本足打法」!



  • 23:13 太田「われわれは、型のためにやっているのかな? 型になものを作らなくては残らないのかな、と思う」 #kabuki #nhk #









  • 23:14 河竹「指1本が型になり得る。役柄の年齢が表せる、それが歌舞伎の一番の特徴かもしれない」 #kabuki #nhk #





  • VTR「勧進帳」花道の飛び六法(團十郎さん)



  • 23:17 河竹「型の一番の特徴は、死そのものを美化しようとする。残虐な場面が、それが一番顕著。忠臣蔵五段目は典型的な例。鉄砲で撃たれて死ぬ時の死に方が、役者の一番の見せ場。いかにいい形で死ぬところを見せるか。初代仲蔵が作った方」 #nhk #kabuki #





  • 河竹「海外でも殺し場はあるけれど、唯物的に殺してしまう」

    太田「殺しを美化する、それは確かに日本的だな」

    河竹「忠臣蔵五段目の定九郎」

    VTR「仮名手本忠臣蔵」五段目山崎街道(團十郎)

    河竹「猪が来たので驚いて、一旦隠れて、出てくると、勘平に撃たれる。いかにいい形で死ぬかという。これは、初代中村仲蔵が作った型。初めて座頭役がやる役にしてしまった」



  • 23:17 太田「今のを見ると、拍手を送ったり声をかけたくなる。外国の人から見ると不思議だろうな」 #kabuki #nhk #





  • VTR「女殺油地獄」(仁左衛門さん、孝太郎さん)



  • 23:18 太田「日本人がずっと抱えている、死に対するあこがれ? 外国人は死を下にすると思うが、日本人は死を上に持ち上げるのではないか? 仲蔵がやったような死の美化をする演劇は、外国にはない?」 #kabuki #nhk #







  • 23:19 河竹「わたしが調べた限りではない」 #kabuki #nhk #





  • VTR「コクーン歌舞伎 三人吉三」(勘三郎さん)



  • 23:20 河竹「芝居が身近すぎたので、趣味で見ている方が楽しそうだと思った」 #kabuki #nhk #





  • Na)歌舞伎作者を曽祖父に、演劇学者を父に持ったが、最初に目指したのは物理だった。



  • 23:21 河竹「物理が好きだったのは、数式が美しかったから。それが芝居の美しさと共通していたと、後になって気づいた。歌舞伎を知ろうと思うと、海外のものを知らないと、と思った」 #kabuki #nhk #





  • 河竹「だから、両生類なんですよ」

    太田「われわれは、先生がおっしゃる物理の公式とか、歌舞伎の型に対抗できないんじゃないかと思う」



  • 23:22 河竹「型から入って、型から出る。自分で膨らまして行かなければいけない。暫の隈取り、青いのは悪党、赤いのは正義、強さを表す」 #kabuki #nhk #





  • VTR「暫」(團十郎さん)



  • 23:24 太田「欧米人が真似できないと思うのは、所作とか日本人は個を消すことを目指す。時代をを全部背負って表現する。個性を出したいと思うのが、全部もみ消されてしまう。それが悲しさでもある。大きな一つの役者をそれぞれの時代時代で作っていて、一人一人の個性は消えてしまう」 #kabuki #nhk #







  • 23:25 河竹「個よりも典型。個を滅却する。女形はその典型だと思う。蕪木作者は”三親切”=役者・見物・座元に親切。作者に親切とはひとつも書いてない。三親切を守って、典型を作ることが作者の使命。だから型という典型を作る事につながる」 #kabuki #nhk #





  • VTR「弁天小僧」(菊五郎さん)

    河竹「その時代の典型、人物のあるべき姿、それが型だと思う」



  • 23:27 河竹「歌舞伎とは、人間の典型のドラマである。その時代のあるべき人間の姿を表現する。能は憂き世、あの世で生きようと考えた。歌舞伎は浮き世。どうせ死ぬならこの世で楽しく過ごそう」 #kabuki #nhk #





  • 河竹「“憂い世”と“浮き世”が、日本の特徴だと思う」

    河竹登志夫『憂世と浮世―世阿弥から黙阿弥へ (NHKブックス)




  • 23:27 河竹「現代は、浮き世」 #kabuki #nhk #







  • 23:28 河竹「なぜか、次々に支える人が出てくる。そしてそれを応援するお客が出てくる。それが本質かもしれない」 #kabuki #nhk #





  • 河竹先生、80歳を超えてなお、矍鑠なさっていて、ダンディでした。
    お話の内容も、わかりやすく、かつ本質をついていて、さすがだと思います。

      

    2009/10/10

    小林清親の「新東京雨中図」に、思いがけなくご対面@三井記念美術館

    日本橋の三井記念美術館で開催中の「夢と追憶の江戸 −高橋誠一郎浮世絵コレクション名品展−」を見てきた。
    この展覧会、会期が3期に別れていて、第1期は12日までなので、今日を逃すともう見に行けないことにきづいたのであった。 


    浮世絵の歴史に沿って、各展示室に陳列されていた中でも、写楽をはじめとする役者絵や吉原の花魁を描いたものなどが、目当てだった。どれも状態がよく、展示数も多すぎず少なすぎず、いい感じだった。
    そして、最後の展示室に、月岡芳年の芝居から題材を得た「松竹梅湯嶋掛額」の櫓のお七や、「船弁慶」を題材にした「月百姿 大物海上月 弁慶」、「安達原」を題材にした「奥州安達がはらひとつ家の図」、そしてあの小林清親の「東京新大橋雨中図」の実物が見られたのが、とてもうれしかった。






    小林清親については、杉本章子さんがその名もズバリの小説『東京新大橋雨中図』(文春文庫)を書いている。




    清親と杉本さんの作品を教えてもらったのは、中野翠さんのコラムだった。たぶん、『あんまりな』(毎日新聞社)ではないかと。






     

    で、 清親の弟子の井上安治については、杉浦日向子さんが『YASUJI東京』(ちくま文庫)という作品を描いていて、それも芋づるで、一連として読んだ。




    今回、清親の作品でもう1点「浜町より写 両国大火 明治四年一月廿六日出火」が展示されていて、これがまた、とてもわたし好みであった。


    江戸の浮世絵を見に行ったつもりが、思いがけず明治の浮世絵師・清親の作品に対面できて、しかもずっと見たいと思っていた「東京新大橋雨中図」の実物が見られたので、がんばって行った甲斐があったというもの。
    中期・後期にも芝居や役者絵はもちろん、清親作品も出るとのことなので見に行きたいと思っている。
      

    2009/10/04

    きものもアートだった?!@「肉筆浮世絵と江戸のファッション」展

    ニューオータニ美術館で「肉筆浮世絵と江戸のファッション」という展覧会が開かれているのを、twitterで「弐代目青い日記」の@taktwiさんに教えていただいたので、仕事も片付いたことだし!と行ってみた。

    そもそも、ニューオータニの中に美術館があるのなんて、ぜんぜん気付いてなかったわたくし…。
    日曜とはいえ午後遅い時間のため、そもそも人が少ない。
    最近、展覧会に行くと人がたくさんで、それだけで萎えることが少なからずあるので、これはうれしい。

    展示は、17世紀後半から、時代を追って肉筆浮世絵とひなかた、そして小袖(帯も少々)を組み合わせていた。
    肉筆浮世絵は、8月に江戸東京博物館でたくさん見たので、それに較べるとちょっと…とか思ってしまった。実は、一番最初に展示してある、サントリー美術館の「舞踊図」屏風が一番よかったかも…(汗)。
    とにかく江戸期の小袖をいろいろと見ることができたのがうれしかった。
    もちろん、布というのは、経年変化には弱いものなので、作られた当時の色とはだいぶ変化しているのだろうけれど、江戸期の刺繍や絞り、手描き、箔、地紋といった手間をかけた仕事を間近で見ることは、なかなか機会がないのでじっくりと。
    そして、一通り展示を見終えた後、振り返ってみたら「ああ、江戸期のこういう小袖っていうのは、単なる衣料品ではなく、美術品でもあったんだなぁ」ということを改めて感じた。

    近くで手仕事を見ているときには気付かない、全体の構図や色・柄の取り合わせの大胆さは、現代のきものにはない。
    展示から離れて見て、わかることもあるんだなぁ…。

    たとえば、寛文期の「黄綸子地雪輪竹模様小袖」。
    近くで見ていると雪輪がイマイチよくわからないのだけれど、離れて全体を見ると「なるほど!」と。
    公式サイトによると、この時代はすでに桃山期の影響を脱して、江戸独自の最初の流行とのこと。

    そして元禄期になると、友禅染が発達し、さらに、帯の幅が広がることによって、上半身と下半身の柄が分かれ、そこからさらに「腰模様」と呼ばれる、腰から下に模様を施すスタイルが流行していく。

    それが、江戸の人々の「粋」という美意識によって、「裾模様」と呼ばれるきものの裾の部分のみに模様を施すスタイルが生まれる。
    その例として展示されているのが「白綸子地松竹梅模様小袖」。

    また、逆に帯の位置に左右されない意匠としての「総模様」が誕生した。これは、現代の「小紋」に通じるデザインかな?
    その例が「白縮緬地垣楓模様小袖」。

    それにしても、こんな小袖をどんな女性が身にまとっていたのだろう? 一緒に展示されている浮世絵の題材になっているのは、ほとんどが遊女なので、やはり吉原あたりの花魁なのかな? 
    そして、きもののほとんどが国立歴史民俗博物館の所蔵品。やはり、一度、折りを見て、佐倉まで行くべき???

    こじんまりとした会場なので、点数は多くないけれど、なかなかステキな展覧会だった。
    特に、きもの好きな方には、オススメ。
    10月25日までが前期で、10月27日から展示替えが行われて、違う作品も見られるとのことなので、後期も見にいきたいな、と思う。


    ※上記で名前をあげたきものの画像は、「肉筆浮世絵と江戸のファッション 町人女性の美意識」で見られるので、ご参照ください。

    <参考になりそうな本>

    長崎巌監修『小袖雛形』(青幻社)

     

     

     

     


    長崎巌『小袖』(ピエ・ブックス)

     

     

     

     

     


    別冊太陽『小袖からきものへ 骨董を楽しむ55』(平凡社)

     

     

     

     

     

    戸板康二『元禄小袖からミニ・スカートまで―日本のファッション・300年絵巻』(サンケイ新聞出版局)


      

    2009/09/30

    「子供のがんは治ってからがまた闘いなのです」

    「こういうと語弊がありますが、わかりやすく言うと、大人のがんは、治ればそれで『よかったね』と祝ってすむけれど、子どものがんは、そこからまた、闘いが始まるのです」

    これは、小児がんにかかった子供とその家族をサポートする財団法人「がんの子供を守る会」会長の言葉だ。
    ちょっと狐につままれたような気分でこの言葉を聞いたのだけれど、そこから先のお話を伺って、「あ、そういうこともあるんだ」という、「闘い」の内容に正直なところ、驚いた。

    子どものがんは、白血病が多いそうだが、それ以外にもいろいろな種類のがんがあり、たいていの場合、大人に比べてその進行が早いという特徴があるそうだ。
    しかし、近年は、有効な治療薬の出現、医療技術の進歩のおかげで、治癒率はずいぶん上がっている。
    ただ、病気が治った後に彼らを待ち受けている"もまた、手ごわいものであるようだ。

    たとえば、
    ○闘病によって、学校を休んだことで勉強が遅れてしまい、進級や進学に支障を来たすこと。
    この件は、まぁ想像はできた。
    しかし、
    ○治療にともなって、放射線を大量に浴びざるを得なかったり、化学療法の薬品の後遺症が残ることも、少なからずある。
    ○がんを患ったことを進学や就職に際して、履歴書などに、そのことを記載するかどうか。
    ○結婚するにあたって、がんを患っていたことを相手とそのご家族に受け入れてもらえるか。
    といったことになると、会長さんのお話を伺ってはじめて「あ、そうか」気付かされた。おそらく一般の人にはなかなか、そこまで思い至ることは難しいのではないだろうか。
    実際、子供の頃にがんを患っていたことが理由で、本人同士は意志を固めていても、ご家族の反対に遭って結婚できないというケースもあるそうだ。
    完治したとされ、治療を受けることは終わったとしても、子供のがんを患った人たちは、その後もまだまだ"がん"と闘っていかなければならない、という現実は、もっと広く知ってもらいたいと、会長さんのお話を伺っていて感じた。

    がんの子供を守る会」の公式サイトの「小児がん経験者の自立支援」というページを見ていくと、
    ○長期の入院や療養生活の結果、普通の子供たちと同じような生活が送れないことがある
    ○慢性的な頭痛や倦怠感、体力の減退といった障がいが、認定されていない
    といった問題点をサポートするための事業が、行われていることがわかる。

    さらに「きょうだいの支援」というページもあり、病気に罹った子供だけでなく、その子の兄弟にもまた、サポートが必要だということにも気付かされた。

    患者家族への経済的な支援はもちろんだけれど、医療の進歩のための助成、治癒した後のサポート、そして残念ながら亡くなってしまった子供のご家族への支援、課題はたくさんあるのだなぁ、ということを知った。

    これは、9月28日に、紀尾井ホールでKame Pro Clubと三響會倶楽部共催の「伝統芸能の今」という公演での、「がんの子供を守る会」会長さんのご挨拶の中で触れられたことである。
    「伝統芸能の今」というのは、市川亀治郎さんと三響會(能楽囃子方の亀井広忠さん、歌舞伎囃子方の田中傳左衛門さん・傳次郎さんのご兄弟が主宰する会)が、一緒に演奏や舞踊を行う公演。
    今回、チケット代の一部(千円)をゴールドリボン基金に寄付すると、案内されていた。

    演奏と演奏の間に、トークのコーナーがあり、そこでメンバーによる芸談などの話の後、ゴールドリボン基金についての説明と、会長さんのご挨拶があった。
    亀治郎さんと三響會のみなさんは、今後も年に一度はこうした活動を行っていきたい、と話された。
    何か、社会に貢献することができる活動をしたい。そのためには、自分たちは芸をみなさんに見て聞いていただくことしかできないので、こういう会を開くことにした。これをきっかけに、みなさんにも、「がんの子供を守る会」の活動に興味を持ってもらいたい、といったことを亀治郎さんとこの会の?企画部長の傳次郎さんが話していた。

    チケット代からの寄付とは別に、当日、ロビーでも募金活動が行われていて、開演前は亀治郎さんと田中兄弟が、終演後は広忠さんが募金を呼びかけていたので、終演後に些少ながら、寄付をさせていただいた。

      

    2009/09/08

    マンガが敷居を下げる

    マンガといえども、侮るべからず!と大人になってから思ったのは、数年前に、みなもと太郎さんの『風雲児たち』を読んでからだ。



     みなもと太郎『風雲児たち(1)』








    この作品を読んで、それまでに読んだ歴史小説や歴史書では出会ったことがない「歴史観」に出会ったし、マンガ家さんの調査力とか洞察力ってスゴいなぁ~と、遅ればせながら思ったのであった。
    で。能を少しずつだが楽しめるようになってきたのもまた、マンガ作品との出会いがきっかけだったので、「すぐれたマンガ作品に出会ったら、それまであまり得意じゃなかったり、とっかかりがつかめなかったモノの敷居が下がるんじゃないかな?」と思ったのだ。

    日本の芸能っていうのも、一般的には、敷居が高いものの部類に入るといって、いいだろう。
    日常生活がすっかり、欧米化してしまった現代では、それも、ある意味当然のこと。
    わたしは、歌舞伎は、わりとすんなり見ることができたのだけれど「お能は結構、敷居が高かったなぁ、自分にとっては」と思う。
    大学の卒論で、お能にも若干関係するテーマを取り上げたので、学生時代とその後、数回は見たことがあったし、立原正秋の小説が好きだったので、イメージとしての「能」というのは、あったのだけれど、実際に能楽堂へ足を運んで舞台に接してみると、「うーん、よくわからん!」というのが、正直なところだった。

    20代からの念願だった、歌舞伎囃子の稽古を始めて、師匠とお稽古の合間に雑談をしているうちに、「これは、能の囃子についても知らないと!」と思ったものの、どんな舞台を見ればいいのかもよくわからず、とりあえず、うちの流儀と関係の深い囃子方の人間国宝の先生の舞台を見てみることにして、チケットを入手して見に行った。
    比較的最初の頃に、金春惣右衛門先生と亀井忠雄先生が出ていらした「石橋」連獅子を見たのは、大きかったと思う。
    お二人の囃子の芸にすっかり圧倒されて、しばらくは見たい囃子方メンバー(上記お二人の他、小鼓の大倉源次郎先生、笛の一噌仙幸先生など)の舞台を探しては見に行っていた。

    そんな時に出会ったのが、成田美名子さんの「花よりも花の如く」というマンガ。




    成田美名子『花よりも花の如く(1)』



     現在第7巻まで単行本化されている。






    長らく少女マンガを読んだことがなかったので、成田さんのお名前は、まったく知らなかった。
    ただ、作品を描くにあたって、成田さんがかなり能をご覧になっているであろうことは、伝わってきた。そういう作者の真摯な姿勢が好もしく思えた。また、主人公が連載スタート時は書生で、いろんな役演じ、また披きを経験して、独立するという、能楽師としての成長ストーリーは、能初心者にも共感しやすく、読みやすく、すっかりハマってしまった。

    その後、この連載のもとになった「Natural」の11巻も購入したw

    そうこうしているうちに、囃子以外の要素にも、目と耳が行くようになったものの、「仕舞」はよくわからないし、謡の詞もイマイチ聞き取れない。
    これはやはり、お稽古してみた方が、より楽しめるのかも!と思い始めたところで出会ったのが、われらが柴田稔先生の「短期能楽教室」。
    能を見始めた頃から、ネットで検索して、能楽師の方、能をよくご覧になっている方のBlogやサイトは拝見していたのだけれど、柴田先生のBlogもその一つだった。
    ご自分がシテをなさる曲のほかに、日々の舞台についての解説やちょっとした裏話などを、写真を交えて紹介して下さるので、「あ、あれはそういうことだったのか!」という気付きをたくさんいただいていた。
    そこに「短期能楽教室」の生徒募集の文字が! お稽古してみたいとは思い始めたものの「いきなり個人稽古はちょっと敷居が高いなぁ~」と思っていたので、とてもリーズナブルな参加費でグループレッスン&銕仙会のお舞台での発表会というのは魅力的だわ!と。
    成田さんが「花よりも花の如く」を描くのに協力されているのが、主に銕仙会の皆さんだったというのも、後押しとなり、メールで受講申し込み。
    気がつけば、1年半、楽しくお稽古を続けているというところ。

    お稽古を始めてみると、以前は退屈に感じてしまった仕舞が、楽しくなった。仕舞を見る時のポイントが、なんとなくわかってきた気がする。また、自分が知っている型が出てくると「あー、この間出てきた型だわ!」みたいなことも考えるようになってきたし。
    また、謡の詞も少しずつ、聞き取れるようになってきた。お稽古していただいた曲はある程度は覚えているということもあるのだけれど、それ以外の曲でも聞こえてくるようになるのが、不思議。耳が慣れてきたのかな??? もっとも、観世流以外は、聞き取れないことも少なくないけど(汗)。

    成田さんの「花よりも花の如く」に出てきた曲は、わりあい初心者にもわかりやすくて、見所がはっきりしている曲が多いので、これを読んでから、その曲が出る会を見に行ったりするのも、よいかもしれないなぁと思う。


    ちなみに、最近は歌舞伎役者が主人公のマンガもある。


     たなか亜希夫・デビッド宮原『かぶく者(1)』




     現在、第5巻まで単行本化済み。




    これが現実離れしているといえばいえるのだけれど、結構、「この人のモデルは、あの人?」と推理するw楽しみもあったりして、単行本が出るたびに購入して読んでいる。

    政治や経済、外交も、いいマンガがあったら、もっと身近に感じられそうだし、基礎知識は得られそうだなぁ。

      

    2009/09/07

    「勧進帳」あれこれ

    今月の歌舞伎座は、なんとなくチケットをとりそびれたまま、になっている。
    土曜日に、とある三味線音楽の演奏会を聞きに行った後、思い立って歌舞伎座へ。
    「勧進帳」を幕見することに。

    「勧進帳」といえば、昨年4月?の仁左衛門さんの弁慶、今年2月の吉右衛門さんの弁慶、ともに大変すばらしかった。

    吉右衛門さんは、熱いハートを理性でくるんだような、弁慶さんだった。幕外の飛び六法もシンプルだけど力強さにあふれていて、まさに「頼りがいのある男」の象徴であった。
    囃子も傳左衛門さん以下、揃っていたし、四天王は、染五郎・松緑・菊之助・段四郎という豪華版、そして富樫は菊五郎さん、という超豪華な「勧進帳」を堪能できた。
    (序幕が、三津五郎さまの「蘭平」だったので、3回も見てしまった・・・汗)

    仁左衛門さんの「勧進帳」は、”江戸前”の弁慶さんとはちょっと違って、ある意味「クサ」かったけれど、とてもドラマティックな「勧進帳」だった。弁慶っていう人は、こういう人だったんだろうなぁ~、という説得力にあふれていた。
    富樫が、勘三郎さんで、実はあまり期待していなかったのだけれど、この富樫がまた、よかった。
    勘三郎さんの、かなり抑えた富樫が、弁慶をより引き立てていた、という感じ。
    こちらもまた、囃子は傳左衛門さん以下の田中社中の皆さんが、気迫あふれる演奏で、芝居を盛り上げていた。

    あと、「勧進帳」といえば、やはり團十郎さんは外せない。
    とにかく、花道に出てきた時のあの存在感は、誰にもまねできないものがある。
    身体が弁慶になっているんだなぁ、團十郎さんの場合は。
    できれば、歌舞伎座建替え前に、もう一度、拝見したいものだが・・・。


    「歌舞伎名作撰 勧進帳」










    團十郎さんといえば、パリオペラ座でも「勧進帳」をなさっている。


     市川團十郎・市川海老蔵 パリ・オペラ座公演 勧進帳・紅葉狩(DVD付) (小学館DVD BOOK―シリーズ歌舞伎)









    で。今月の「勧進帳」。
    見る前から「吉右衛門さんの富樫が見たいんだもの」と、自分に言い訳w。
    期待にたがわぬ、大変結構な富樫だった。最後、定式幕が引かれるときの型が、とても大きくて、富樫に惚れた・・・。
    染五郎さんの義経も、品があって、若手の中では今、一番、義経がニンにあっているかも???と思った。
    今月は、囃子もやや手薄な感じだったなぁ・・・。ま、モナコと平成中村座があるから、しょうがないんだけど。あ、11日に三響会をなさるってことは、お二人とも、モナコ???


    昼の部は、芝翫さんの踊りがあるし、「竜馬がゆく」もあるので、通しで見たいと思いつつ、予定がハマらない・・・。

    ちなみに。
    「勧進帳」は、能「安宅」を七代目市川團十郎が歌舞伎にうつしたもの。
    お能に遠慮して「勧進帳」という題にしたのかな?と思っていたら、実は、能「安宅」の小書に「勧進帳」があって、この小書をつけないと、山伏が全員で勧進帳を読むのだそうだ・・・。
    それはそれで、見てみたい気もw。

    それと。芝居の地で演奏される「勧進帳」は、素の長唄としても、大変な名曲だとわたしは思う。
    比較的入手しやすいのは


    「芳村伊十郎長唄全集12 助六・勧進帳」









    で、本命は


     
    このCDに収録されている、四代目吉住小三郎の「勧進帳」は、すばらしいと思っている。





    あと、「安宅」や「勧進帳」に関係する本










    これは、去年書店で見かけて買って読んだのだけれど、弁慶の装束や「勧進帳」とはどんなものなのか、などの解説が面白かった。