2009/12/22

「鳥目」

歌舞伎や狂言、落語を見聞きしていると、時おり「お鳥目(チョウモク)」という言葉が出てくる。
これは、お金のことを表す言葉なのだ、というのは前後のつながりやら何やらで、類推できるのだけれど、その語源について、狂言の茂山千之丞さんの『狂言じゃ、狂言じゃ!』という本に出てきたのが
穴空き銭の形が、鳥の目に似ているところから、鳥目という
P.188
という記述。

なるほどねぇ~、と思っていたら、そのちょっと後に読んだ、種村季弘さんの『雨の日はソファで散歩』にも、この「鳥目」についての記述が出てきた。
江戸時代の銭貨は円形方孔、つまり丸い銭に四角の孔があいていた。これが鳥の目に似ているところから金銭のことをお鳥目といった。
                             「鳥目絵の世界」P.117
今の穴あき銭は、丸い形に丸い孔が空いているけれど、たしかに、写真や博物館の展示で見たことのある江戸の銭貨は、四角い孔が空いていたな・・・。

で、種村さんの方は、ここから絵画の技法についての話に発展していく。
ところがその下に絵がつくと、これまた意味が変わってくる。鳥目絵。文字通りバーズアイの俯瞰図のことだ。
さて、鳥目絵といって、誰でも思いたるのが広重『江戸名所百景』の「深川洲崎十万坪」だろう。


(略)
その眺望をもっと遠大にすると北斎「東海道名所一覧」のような鳥目絵になる。


(略)
師宣の「東海道追分間図絵」は現実の遠近関係を無視してまで海道筋の名所旧跡を派手に際だたせている、地図というよりその名の通り「図絵」だ。
「鳥目絵の世界」P.117-118
というふうに、鳥目は鳥目でも、こちらは鳥の目で描いた絵の話に発展してしまった。
ちょうど、種村さんのこの記述を読んだ時に、浮世絵の展覧会で、広重の「深川洲崎十万坪」を実際に見た間なしだったので、「あ、あれね!」と思ったのだった。

そして、種村さんは、これらの鳥目絵について、見たいものだけが描き込まれており、元禄から江戸中期にかけて、多く描かれていることから、町人が物見遊山を楽しむ余裕ができるようになったことから産まれた、と考察している。
奈良時代の「春日曼荼羅」から室町時代の各種洛中洛外図を経て、元禄期の温泉案内図や登山図を経て、近代の吉田初太郎らの作品にまで系譜だててみることができる点から、子供の遊戯や神事から生まれたものであろうと、考えている。

さらに、種村さんは春画と鳥目絵、そしてエドガー・アラン・ポーの「ランダーの別荘」という作品にまで論を広げていく。
春画と鳥目絵の同一視、もしくは対応関係は、一見突飛な思いつきと思う人もあるかもしれない。しかし、ひょっとすると、鳥目絵の本質はここにこそ露呈しているかもしれない。
人体(小宇宙)と山水(大宇宙)の対応と同一視。古来からの鳥瞰図は透視図法の未熟の産物ではなくて、むしろカッコとした宇宙・世界観の表現だったとわきまえるべきだろう。
「鳥目絵の世界」P.120
春画においては、秘部をことさら強調して描かれる。それは「見たいものだけを描く」という鳥目絵の特徴に通じている、というのだ。
そして、中井久夫が描いたポーの「ランダーの別荘」再現地図について
道教の胎生図たる内経図そっくりであり、さらには北斎や吉田初三郎の秘密くさい開口部がエロティックな窪みを形作っている山岳鳥瞰図にも酷似している。パノラミックな鳥瞰図が収斂していく先は、おそらく洋の東西を問わずに、胎生空間であるらしいのだ。
「鳥目絵の世界」P.122
たしかに、春画の構図のグロテスクなまでのアンバランスさ、というのは、「見たいもの」を強調しているのであり、山岳鳥瞰図にも似ている、というのにも、頷けるなぁ~と思った。