2010/03/08

わたしが手書きノートを復活させた理由 その1「お稽古ごと編」

お囃子の稽古を始めて、改めて感じたのが「手で書く」という行為の意義。
ここ数年は、いかに有効にデジタルで記録するか、ということばかりに気を取られていたた。
ところが、囃子のお稽古では、附(楽譜のようなもの)は師匠から基本的にはいただかない。だからお稽古の録音を聞きながら、手付を書き起こすことになる。しかし、この作業にパソコンはほぼ、役に立たない。その原因は、自分がスラスラと書けるほど、囃子のことを知らないからだ。
耳で聞いた音を、頭の中で記号に置き換え、それを表記するのに、いくつかのクッションが必要なのだ。

たとえば、自分に或る程度の知識がある事柄について、テレビの番組を見ながらツイッターにその内容を投稿することはできる。でも、よく知らないことについては、用語も知らないし、話の流れのも掴みにくいから、うまく投稿できないのと似ている。

そこで、久々の紙に手書きというスタイルが復活した。囃子の手のツブを一つずつ書いて行くのだけれど、これが案外、覚えることにも役立っているのではないかな?と漠然と感じていた。そして、ある稽古の時、師匠と雑談をしていたら「僕も、とにかく新しい曲を覚えなきゃならない時は、書いて覚えてますよ」と言われて、やはりそうなんだ!と。
その後、歌舞伎囃子人間国宝の堅田喜三久先生のレクチャーコンサートを聞きに行った時にも、「若い頃は、テープレコーダーなんて使えなかったから、とにかく毎日、演奏会に出かけて、そこで附けを書いて、夜、家でそれを清書した。そうやって書いたことが、記録ということだけでなく、たくさんの曲を覚える上でも、役に立った」という意味のことをおっしゃっていらして、ますます納得。


そんな訳で、囃子のお稽古に関しては、とにかく「書く」ということを続けている。

その後、能の仕舞と謡のお稽古を始めた。謡は「謡本」という楽譜のかわりになるようなものがある。仕舞も形式はいくつかあるようだが、「型附」という舞踊譜のようなものがある。ということで、すっかりそのテキストに頼っていた。

ところが、「経正」という曲の仕舞の「型附」をいただいたら、詞章に動きの指示が言葉で書かれたものだった。それで、しばらくの間、その「型附」に言葉を書き足していたのだけれど、それだと、この詞章のときに、自分が舞台のどの場所にいなくてはいけないのかが、イメージしにくいことに気づいた。
仕舞の中で、この詞章の時には、ここでこの型をする、ときっちり決まっているところが、必ず何カ所かある。でも、そこへ行くのが間に合わなかったり、謡が余ってしまったりするのだ。

もともと、イラストなどを書くのは苦手で、なんとか言葉だけで補足情報を書き込もうとしていたのだけれど、それでは自分の乏しい体験では足らないのだ。
そこで、発表会を前にして、ノートに詞章とともに居場所の軌跡を書いてみることにした。
すると、何足(歩数)でここへ行くためには、その前にここにいなくてはムリ!ということがわかってきた。
誰かに見せる訳ではないから、まぁ、いいかという程度のメモではあるけれど、あやふやだった詞章も動きと一緒に書くので、覚えることができる。


あー、やはり書くことって、大事なんだなぁと感じる今日この頃だ。
他のことにも「書く」という行為を復活させようと、手書きのノートを復活させた。
それについては、また項を改める。