2009/09/30

「子供のがんは治ってからがまた闘いなのです」

「こういうと語弊がありますが、わかりやすく言うと、大人のがんは、治ればそれで『よかったね』と祝ってすむけれど、子どものがんは、そこからまた、闘いが始まるのです」

これは、小児がんにかかった子供とその家族をサポートする財団法人「がんの子供を守る会」会長の言葉だ。
ちょっと狐につままれたような気分でこの言葉を聞いたのだけれど、そこから先のお話を伺って、「あ、そういうこともあるんだ」という、「闘い」の内容に正直なところ、驚いた。

子どものがんは、白血病が多いそうだが、それ以外にもいろいろな種類のがんがあり、たいていの場合、大人に比べてその進行が早いという特徴があるそうだ。
しかし、近年は、有効な治療薬の出現、医療技術の進歩のおかげで、治癒率はずいぶん上がっている。
ただ、病気が治った後に彼らを待ち受けている"もまた、手ごわいものであるようだ。

たとえば、
○闘病によって、学校を休んだことで勉強が遅れてしまい、進級や進学に支障を来たすこと。
この件は、まぁ想像はできた。
しかし、
○治療にともなって、放射線を大量に浴びざるを得なかったり、化学療法の薬品の後遺症が残ることも、少なからずある。
○がんを患ったことを進学や就職に際して、履歴書などに、そのことを記載するかどうか。
○結婚するにあたって、がんを患っていたことを相手とそのご家族に受け入れてもらえるか。
といったことになると、会長さんのお話を伺ってはじめて「あ、そうか」気付かされた。おそらく一般の人にはなかなか、そこまで思い至ることは難しいのではないだろうか。
実際、子供の頃にがんを患っていたことが理由で、本人同士は意志を固めていても、ご家族の反対に遭って結婚できないというケースもあるそうだ。
完治したとされ、治療を受けることは終わったとしても、子供のがんを患った人たちは、その後もまだまだ"がん"と闘っていかなければならない、という現実は、もっと広く知ってもらいたいと、会長さんのお話を伺っていて感じた。

がんの子供を守る会」の公式サイトの「小児がん経験者の自立支援」というページを見ていくと、
○長期の入院や療養生活の結果、普通の子供たちと同じような生活が送れないことがある
○慢性的な頭痛や倦怠感、体力の減退といった障がいが、認定されていない
といった問題点をサポートするための事業が、行われていることがわかる。

さらに「きょうだいの支援」というページもあり、病気に罹った子供だけでなく、その子の兄弟にもまた、サポートが必要だということにも気付かされた。

患者家族への経済的な支援はもちろんだけれど、医療の進歩のための助成、治癒した後のサポート、そして残念ながら亡くなってしまった子供のご家族への支援、課題はたくさんあるのだなぁ、ということを知った。

これは、9月28日に、紀尾井ホールでKame Pro Clubと三響會倶楽部共催の「伝統芸能の今」という公演での、「がんの子供を守る会」会長さんのご挨拶の中で触れられたことである。
「伝統芸能の今」というのは、市川亀治郎さんと三響會(能楽囃子方の亀井広忠さん、歌舞伎囃子方の田中傳左衛門さん・傳次郎さんのご兄弟が主宰する会)が、一緒に演奏や舞踊を行う公演。
今回、チケット代の一部(千円)をゴールドリボン基金に寄付すると、案内されていた。

演奏と演奏の間に、トークのコーナーがあり、そこでメンバーによる芸談などの話の後、ゴールドリボン基金についての説明と、会長さんのご挨拶があった。
亀治郎さんと三響會のみなさんは、今後も年に一度はこうした活動を行っていきたい、と話された。
何か、社会に貢献することができる活動をしたい。そのためには、自分たちは芸をみなさんに見て聞いていただくことしかできないので、こういう会を開くことにした。これをきっかけに、みなさんにも、「がんの子供を守る会」の活動に興味を持ってもらいたい、といったことを亀治郎さんとこの会の?企画部長の傳次郎さんが話していた。

チケット代からの寄付とは別に、当日、ロビーでも募金活動が行われていて、開演前は亀治郎さんと田中兄弟が、終演後は広忠さんが募金を呼びかけていたので、終演後に些少ながら、寄付をさせていただいた。

  

2009/09/08

マンガが敷居を下げる

マンガといえども、侮るべからず!と大人になってから思ったのは、数年前に、みなもと太郎さんの『風雲児たち』を読んでからだ。



 みなもと太郎『風雲児たち(1)』








この作品を読んで、それまでに読んだ歴史小説や歴史書では出会ったことがない「歴史観」に出会ったし、マンガ家さんの調査力とか洞察力ってスゴいなぁ~と、遅ればせながら思ったのであった。
で。能を少しずつだが楽しめるようになってきたのもまた、マンガ作品との出会いがきっかけだったので、「すぐれたマンガ作品に出会ったら、それまであまり得意じゃなかったり、とっかかりがつかめなかったモノの敷居が下がるんじゃないかな?」と思ったのだ。

日本の芸能っていうのも、一般的には、敷居が高いものの部類に入るといって、いいだろう。
日常生活がすっかり、欧米化してしまった現代では、それも、ある意味当然のこと。
わたしは、歌舞伎は、わりとすんなり見ることができたのだけれど「お能は結構、敷居が高かったなぁ、自分にとっては」と思う。
大学の卒論で、お能にも若干関係するテーマを取り上げたので、学生時代とその後、数回は見たことがあったし、立原正秋の小説が好きだったので、イメージとしての「能」というのは、あったのだけれど、実際に能楽堂へ足を運んで舞台に接してみると、「うーん、よくわからん!」というのが、正直なところだった。

20代からの念願だった、歌舞伎囃子の稽古を始めて、師匠とお稽古の合間に雑談をしているうちに、「これは、能の囃子についても知らないと!」と思ったものの、どんな舞台を見ればいいのかもよくわからず、とりあえず、うちの流儀と関係の深い囃子方の人間国宝の先生の舞台を見てみることにして、チケットを入手して見に行った。
比較的最初の頃に、金春惣右衛門先生と亀井忠雄先生が出ていらした「石橋」連獅子を見たのは、大きかったと思う。
お二人の囃子の芸にすっかり圧倒されて、しばらくは見たい囃子方メンバー(上記お二人の他、小鼓の大倉源次郎先生、笛の一噌仙幸先生など)の舞台を探しては見に行っていた。

そんな時に出会ったのが、成田美名子さんの「花よりも花の如く」というマンガ。




成田美名子『花よりも花の如く(1)』



 現在第7巻まで単行本化されている。






長らく少女マンガを読んだことがなかったので、成田さんのお名前は、まったく知らなかった。
ただ、作品を描くにあたって、成田さんがかなり能をご覧になっているであろうことは、伝わってきた。そういう作者の真摯な姿勢が好もしく思えた。また、主人公が連載スタート時は書生で、いろんな役演じ、また披きを経験して、独立するという、能楽師としての成長ストーリーは、能初心者にも共感しやすく、読みやすく、すっかりハマってしまった。

その後、この連載のもとになった「Natural」の11巻も購入したw

そうこうしているうちに、囃子以外の要素にも、目と耳が行くようになったものの、「仕舞」はよくわからないし、謡の詞もイマイチ聞き取れない。
これはやはり、お稽古してみた方が、より楽しめるのかも!と思い始めたところで出会ったのが、われらが柴田稔先生の「短期能楽教室」。
能を見始めた頃から、ネットで検索して、能楽師の方、能をよくご覧になっている方のBlogやサイトは拝見していたのだけれど、柴田先生のBlogもその一つだった。
ご自分がシテをなさる曲のほかに、日々の舞台についての解説やちょっとした裏話などを、写真を交えて紹介して下さるので、「あ、あれはそういうことだったのか!」という気付きをたくさんいただいていた。
そこに「短期能楽教室」の生徒募集の文字が! お稽古してみたいとは思い始めたものの「いきなり個人稽古はちょっと敷居が高いなぁ~」と思っていたので、とてもリーズナブルな参加費でグループレッスン&銕仙会のお舞台での発表会というのは魅力的だわ!と。
成田さんが「花よりも花の如く」を描くのに協力されているのが、主に銕仙会の皆さんだったというのも、後押しとなり、メールで受講申し込み。
気がつけば、1年半、楽しくお稽古を続けているというところ。

お稽古を始めてみると、以前は退屈に感じてしまった仕舞が、楽しくなった。仕舞を見る時のポイントが、なんとなくわかってきた気がする。また、自分が知っている型が出てくると「あー、この間出てきた型だわ!」みたいなことも考えるようになってきたし。
また、謡の詞も少しずつ、聞き取れるようになってきた。お稽古していただいた曲はある程度は覚えているということもあるのだけれど、それ以外の曲でも聞こえてくるようになるのが、不思議。耳が慣れてきたのかな??? もっとも、観世流以外は、聞き取れないことも少なくないけど(汗)。

成田さんの「花よりも花の如く」に出てきた曲は、わりあい初心者にもわかりやすくて、見所がはっきりしている曲が多いので、これを読んでから、その曲が出る会を見に行ったりするのも、よいかもしれないなぁと思う。


ちなみに、最近は歌舞伎役者が主人公のマンガもある。


 たなか亜希夫・デビッド宮原『かぶく者(1)』




 現在、第5巻まで単行本化済み。




これが現実離れしているといえばいえるのだけれど、結構、「この人のモデルは、あの人?」と推理するw楽しみもあったりして、単行本が出るたびに購入して読んでいる。

政治や経済、外交も、いいマンガがあったら、もっと身近に感じられそうだし、基礎知識は得られそうだなぁ。

  

2009/09/07

「勧進帳」あれこれ

今月の歌舞伎座は、なんとなくチケットをとりそびれたまま、になっている。
土曜日に、とある三味線音楽の演奏会を聞きに行った後、思い立って歌舞伎座へ。
「勧進帳」を幕見することに。

「勧進帳」といえば、昨年4月?の仁左衛門さんの弁慶、今年2月の吉右衛門さんの弁慶、ともに大変すばらしかった。

吉右衛門さんは、熱いハートを理性でくるんだような、弁慶さんだった。幕外の飛び六法もシンプルだけど力強さにあふれていて、まさに「頼りがいのある男」の象徴であった。
囃子も傳左衛門さん以下、揃っていたし、四天王は、染五郎・松緑・菊之助・段四郎という豪華版、そして富樫は菊五郎さん、という超豪華な「勧進帳」を堪能できた。
(序幕が、三津五郎さまの「蘭平」だったので、3回も見てしまった・・・汗)

仁左衛門さんの「勧進帳」は、”江戸前”の弁慶さんとはちょっと違って、ある意味「クサ」かったけれど、とてもドラマティックな「勧進帳」だった。弁慶っていう人は、こういう人だったんだろうなぁ~、という説得力にあふれていた。
富樫が、勘三郎さんで、実はあまり期待していなかったのだけれど、この富樫がまた、よかった。
勘三郎さんの、かなり抑えた富樫が、弁慶をより引き立てていた、という感じ。
こちらもまた、囃子は傳左衛門さん以下の田中社中の皆さんが、気迫あふれる演奏で、芝居を盛り上げていた。

あと、「勧進帳」といえば、やはり團十郎さんは外せない。
とにかく、花道に出てきた時のあの存在感は、誰にもまねできないものがある。
身体が弁慶になっているんだなぁ、團十郎さんの場合は。
できれば、歌舞伎座建替え前に、もう一度、拝見したいものだが・・・。


「歌舞伎名作撰 勧進帳」










團十郎さんといえば、パリオペラ座でも「勧進帳」をなさっている。


 市川團十郎・市川海老蔵 パリ・オペラ座公演 勧進帳・紅葉狩(DVD付) (小学館DVD BOOK―シリーズ歌舞伎)









で。今月の「勧進帳」。
見る前から「吉右衛門さんの富樫が見たいんだもの」と、自分に言い訳w。
期待にたがわぬ、大変結構な富樫だった。最後、定式幕が引かれるときの型が、とても大きくて、富樫に惚れた・・・。
染五郎さんの義経も、品があって、若手の中では今、一番、義経がニンにあっているかも???と思った。
今月は、囃子もやや手薄な感じだったなぁ・・・。ま、モナコと平成中村座があるから、しょうがないんだけど。あ、11日に三響会をなさるってことは、お二人とも、モナコ???


昼の部は、芝翫さんの踊りがあるし、「竜馬がゆく」もあるので、通しで見たいと思いつつ、予定がハマらない・・・。

ちなみに。
「勧進帳」は、能「安宅」を七代目市川團十郎が歌舞伎にうつしたもの。
お能に遠慮して「勧進帳」という題にしたのかな?と思っていたら、実は、能「安宅」の小書に「勧進帳」があって、この小書をつけないと、山伏が全員で勧進帳を読むのだそうだ・・・。
それはそれで、見てみたい気もw。

それと。芝居の地で演奏される「勧進帳」は、素の長唄としても、大変な名曲だとわたしは思う。
比較的入手しやすいのは


「芳村伊十郎長唄全集12 助六・勧進帳」









で、本命は


 
このCDに収録されている、四代目吉住小三郎の「勧進帳」は、すばらしいと思っている。





あと、「安宅」や「勧進帳」に関係する本










これは、去年書店で見かけて買って読んだのだけれど、弁慶の装束や「勧進帳」とはどんなものなのか、などの解説が面白かった。





  

2009/09/06

今度、平成中村座に会えるまで

久しぶりで、銀座・教文館に寄ってみた。
2階の歌舞伎本コーナーで、新刊を発見!
 

『拝啓「平成中村座」様』(世界文化社)






明緒さん(串田和美さんの奥様らしい)の写真と、平成中村座の主立ったメンバーの、平成中村座に宛てた手紙、勘太郎くん・七之助くんと串田さんとの鼎談で構成されている。

平成中村座は、何度か見に行っていて(最初の数回は、見る事ができなかったのが、今となってはとても残念)、大好きだ。
雨が降れば屋根を雨粒が叩く音が、花屋敷からはお客の歓声が、救急車やパトカーが通ればサイレンの音が、といった案配で、決して劇場としてはいい環境ではない。
でも、芝居小屋としては、その混沌としたところが楽しい。

去年の公演は、桜席で「忠臣蔵」と「法界坊」を見る機会を得た。
開幕前、幕が引かれた後、舞台でどんなことが起こっているのかを、見て、肌で感じる事ができて、とても楽しかった。
大道具さんが道具を出したり引っ込めたりする様子。
幕が開くのを待つ役者さんたち。
「忠臣蔵」の大序で、下手の幕溜で、「置鼓」という小鼓の手を、幕が開くのと息を合わせて打つ傳左衛門さん。
道具の陰で合引を抱えて控えている黒子さん。
すぐそこに仁左衛門さんの大星が! 勘太郎くんの勘平が! 勘三郎さんの判官が!と、興奮したよなぁ…。

「法界坊」では、わたしのまん前の席に、出を待つ勘三郎さんが突然現れて、周りのお客に「暑くないですか?」とか「見にくくないですか?」などと話しかけてくれた。
したたる汗を見かねて、お扇子で勘三郎さんをあおいであげたり(団扇じゃないと効果はあまりなかったけどw)。

平成中村座は、ほんとに小さな小屋で、役者さん・地方さん・裏方さん・表方さんが一体になった熱が、直接客席に伝わってくる。そして彼らが、わたしたち客をもてなすばかりでなく、一緒に楽しんでいるのが感じられる。
ここでは、芝居の最中でも、お弁当やおやつを食べたり、お酒やお茶を飲んだりしながら見てください。
芝居って、もともとはそうやって見るものだったんだから、と勘三郎さんは言う。
結局いつも、見ながらお弁当を食べる間もなく、芝居に引き込まれてしまうのだけれど、江戸時代の人たちは、きっとこんな感じで芝居を見て、楽しんでいたんだろうな、と思えるのが、平成中村座という芝居小屋だ。

この『拝啓「平成中村座」様』で、勘三郎さんをはじめとした役者さん、串田さんが書いた手紙を読みながら、明緒さんの写真を見ながら、今までに見た舞台のあれやこれやが、頭の中で走馬灯のように甦ってきた。
そして、舞台の感動までもが、そのまま思い出された。

たぶん、来年の秋あたりにまた、平成中村座に再会できるはず。
今度はどんな芝居を見せてくれるのだろう?あの小屋で。
それまで、時々、この本を取り出して、思い出すことにしよう。

  

2009/09/02

『「でっけぇ歌舞伎」入門」』は市川海老蔵へのラブレター

8月の新橋演舞場で見た「石川五右衛門」は、まだいろいろとブラッシュアップしていくべき点は見られたものの、新作歌舞伎としては、一度限りには終わらない可能性を感じさせる作品だった。
その「石川五右衛門」の原案を書いた、樹林伸さんによる、歌舞伎入門書が、8月下旬に上梓されたので、さっそく購入して読んでみた。


 樹林伸『「でっけぇ歌舞伎」入門 マンガの目で見た市川海老蔵』
(講談社+α新書)










「はじめに」で、樹林さんは
十一代目市川海老蔵という役者に出会うことによって、僕自身、大きく変わりました。
たとえば、歌舞伎にたいする考え方です。
歌舞伎をまったく知らなかった僕は、歌舞伎をすごく限定的なエンターテインメントだと考えていました。
(中略)
でもじっさいにはぜんぜんちがっていた。歌舞伎という芸能はまだ生きているし、成長を続けている。市川海老蔵は新しいチャレンジをしようとしているし、そのチャレンジによって四百年という長い歴史に、新たな一ページを刻もうとしている。
これは僕にとって大いなる発見であったし、「出会い」がもたらした大きな変化でもありました。
P.3-4
と書いている。

タイトルの「でっけぇ」は、歌舞伎十八番「暫」の中で、主人公の鎌倉権五郎に向かって劇中でかけられる、褒め言葉だ。
実際、この芝居を見たことのある人なら、その実際以上の舞台上での存在感の”大きさ”を褒め称える言葉であることは、わかるだろう。
扮装だけではなく、権五郎を演じる役者の、気持ちの大きさが、観客の目に反映される。どんな役でもそういう面はあるが、特にこの役にはそういう”大きさ”が要求されるように思う。
そして、ここ数年の海老蔵さんの権五郎は、まさに「でっけぇ」にふさわしい。

市川海老蔵という役者は、世阿弥のいう「時分の花」にぴったりだと、ここ2年ぐらいの彼の舞台を見ていて、感じている。
四百年、十二代を数える名門・市川團十郎家を継ぐべき星の下に生まれた彼は、子供の頃からずっと、その重責を担うための英才教育を受けてきた。それでも、團十郎という名前の重圧に押しつぶされそうになったことは、一度や二度ではなかったに違いない。
歌舞伎の家に生まれたということは、まさにそういうことなのだ。

樹林さんも、そのことについて、第三章「シロウトに歌舞伎は演じられるか?」の中で次のように述べている。

「團十郎」は世襲で伝えられているわけですが、待っていれば転がり込んでくるものではない。役者としての充実はむろんのこと、それにふさわしい精神性を要求する「名」なのです。
P.81
さらに、修行については、こんなことを。

歌舞伎役者は小さなころから、歌舞伎を演じるためだけに、長い年月をかけて営々と素地をつくります。言葉は悪いけれども、洗脳に近い教育を受けるわけです。そんな驚くべき修行を積んだ人間だけが、歌舞伎役者になる。
(中略)
伝統芸能の世襲は、重荷のリレーだ、と僕は思います。
受け継ぐものは、何百年もかけて培われてきた「芸」であり、「名」です。「財産」や「地位」ではない。たやすく受け止められるものではなく、子どものころからわけもわからず「芸」を叩き込まれ、バトンを受け取る準備を営々と行ってきた人間だけが、「名」を引き継ぐことを許される。
P.84-85

そして、素人にできるのは「まねごと」だけであり、
歌舞伎の本質は、そういった「かたち」の中にはないのです。小さなころから叩き込まれ、磨き上げられた役者の素地と精神性。その中にこそある。
P.87
マンガ原作者として、また、小説家としてたくさんの仕事を抱え、締め切りに追われる樹林さんを、それまでほとんど触れてこなかった歌舞伎の原案作りという新しい仕事に誘い込んだのは、初対面の海老蔵さんが、金丸座の楽屋で発した次の言葉だったという。

彼はあの射るような眼で僕を見つめながら、こんなことを言いました。
「樹林さん、歌舞伎って、いろんな縛りがあって、できないことだらけだと思ってませんか」
(中略)
「そんなことないんです。歌舞伎は、しようと思えばどんなことでも表現できるんです。できないことはなにもないと思って、ストーリーを考えてみてくれませんか」
(中略)
「歌舞伎だと思って書く必要はありません。ふだん樹林さんが書かれている、マンガのシナリオだと思って書いてください。残念ながら、今、歌舞伎の現場には、おもしろいストーリをつくれる人がいない。そういう人材は、マンガやアニメ、ゲームなどの、今いちばん勢いのあるエンターテイメントの現場にいるんだと思っています。僕はそういう人と仕事がしてみたいんです」
P.36-37

海老蔵さんは、「石川五右衛門」の製作発表の席で「新作の古典をやりたかった」と話した。歌舞伎の文法を使いながら、現代の人に共感してもらえる新しい作品をやりたかった、ということだ。
舞台を見ていて、竹本(歌舞伎の際に演奏される義太夫節)や、下座音楽(舞台下手の御簾の中などで演奏される三味線・唄・鳴り物による音楽)、附け、といったモノが上手に取り入れられていて、その中にも「へぇ~」と思わされるような演出が施されていて、「あ、これは歌舞伎だ」と素直に思うことができた。

新作歌舞伎というと、突飛な演出や舞台装置、効果音、洋楽などを取り入れがちだけれど、そういうものは、やはりどこかで浮いて見えてくる。歌舞伎役者の身体技能に馴染まないからであろう。
そういう点があまり見受けられなかったのは、海老蔵さんとスタッフの間に共通の認識がしっかりと出来上がっていたからだろう。

あとがきのかわりに、海老蔵さんと樹林さんの対談が収録されている。
この対談が、かなり砕けた話まで収録されていて、その点もかえって好ましく感じられた。
そんな中で、特に印象に残っている海老蔵さんの言葉を引用しておくと

歌舞伎って本来、新作をやるものだったんですよ。江戸時代には毎年毎年、新しい演目が演じられていたんです。でも、今はそうじゃなくなってますよね。古い演目を繰り返し演じるものになってしまっている。もちろん、古いものを大事にすることも大切なんだけど、それだけじゃダメなんじゃないか、と思っていたんですよ。新しいことをやっていかなきゃいけないんじゃないかと。
P.162

結局、「石川五右衛門」も、『「でっけぇ歌舞伎」入門』も、樹林伸から市川海老蔵に宛てた、ラブレターなんじゃないかな?

海老蔵さんについては、こんな本も出ているので、参考まで。


写真集市川海老蔵 (十一代目襲名記念)











村松友視『そして、海老蔵』(世界文化社)