2009/10/22

「爆笑問題のニッポンの教養」FILE088は「カブキズム!」だった

毎回視聴する、というほど熱心なファンではないが、時々興味のあるテーマだと見ている「爆笑問題のニッポンの教養」(以下「爆問」と略す)。10月21日は河竹登志夫さんをゲストに迎えて、歌舞伎がテーマとのことで、見ていた。

河竹先生の著書


河竹登志夫『作者の家 第一部』(岩波現代文庫)









 『河竹登志夫歌舞伎論集









見ながらTwitterに要旨をUPしたので、そのログをもとに、まとめてみる。
歌舞伎座前から Na)歌舞伎座は2010年5月から建て替えに入る。
田中「今日たずねるのは、歌舞伎に関係ある方=河竹登志夫先生。ご先祖様が歌舞伎作者」
黙阿弥の写真 Na)幕末から明治にかけて活躍した天才歌舞伎作者。
VTR「白浪五人男」稲瀬川勢揃いの場(團十郎さん、菊五郎さん)
VTR「三人吉三」大川端の場(時蔵さん) 「こいつは春から縁起がいいわえ」
Na)数々の名台詞を残した。

VTR「古式手打式」にて演目を読み上げる河竹先生

VTR「寿曽我対面」三津五郎さまの五郎!w

河竹先生を訪ねる爆笑問題 研究室? デスクの上にはカエルのコレクションの一部
23:04 河竹先生は、カエルがお好き #kabuki #nhk #
河竹「自分は、両生類みたいな生き方をしてきたなぁと思う」

 



  • 23:06 天覧歌舞伎の解説をつとめ、早稲田大学名誉教授。比較演劇学を開拓。河竹「はじめから難しい、遠いものだと思わず、とにかく見てみよう!」 #kabuki #nhk #








  • 23:07 太田「学校から言われて、歌舞伎座に見に行ったけど、途中で抜け出していた。あの時代、アングラが面白かった」 #kabuki #nhk # 








  • 23:08 河竹「小劇場は、面白かった。歌舞伎と同じ。西洋流のリアリズムではありえない」





  • 歌舞伎は交流である
    幕がない=出雲の阿国がそうだった。



  • 「歌舞伎や小劇場というのは、垂直に来るけど、西洋リアリズム演劇は水平」 kabuki #nhk #





  • VTR「勧進帳」花道の飛び六法



  • 23:09 河竹「テレビとは違う、生の交流がある。今は鑑賞するものになっているけれど、昔はひとつの生活の場。錦絵を見るとよくわかる」 #kabuki #nhk #





  • VTR「菅原伝授手習鑑」車引 松緑



  • 23:10 河竹「客が率直だったから、よければ褒めるし、よくなければ物を投げたり騒いだりする。そういうお客を黙らせ、自分の芝居を見せるには、力がいる。今の歌舞伎は、そういう行儀の悪いお客との交流によってできた」 #kabuki #nhk #





  • 河竹「行儀の悪い客によって作られた。大衆的なエンターテイメントだった」

    太田「われわれにとっては、能・狂言・歌舞伎を一くくりに見てしまうが、それぞれはまったく違う? 歌舞伎はその中でも、特に自由だった?」



  • 23:11 河竹「歌舞伎ぐらい、どん欲な演劇はない」#kabuki #nhk #





  • VTR「スーパー歌舞伎 新八犬伝」



  • 23:12 太田「学校とは、いつもぶつかっていた。もっとダイナミックなものをやりたいと思っていた。自分の感情に近いものを表現したかったが、演技論を読むと、必ず型を学べと書いてあった。形を学ぶことで、心は後から入って行くと」 #kabuki #nhk #





  • VTR「王貞治の1本足打法」!



  • 23:13 太田「われわれは、型のためにやっているのかな? 型になものを作らなくては残らないのかな、と思う」 #kabuki #nhk #









  • 23:14 河竹「指1本が型になり得る。役柄の年齢が表せる、それが歌舞伎の一番の特徴かもしれない」 #kabuki #nhk #





  • VTR「勧進帳」花道の飛び六法(團十郎さん)



  • 23:17 河竹「型の一番の特徴は、死そのものを美化しようとする。残虐な場面が、それが一番顕著。忠臣蔵五段目は典型的な例。鉄砲で撃たれて死ぬ時の死に方が、役者の一番の見せ場。いかにいい形で死ぬところを見せるか。初代仲蔵が作った方」 #nhk #kabuki #





  • 河竹「海外でも殺し場はあるけれど、唯物的に殺してしまう」

    太田「殺しを美化する、それは確かに日本的だな」

    河竹「忠臣蔵五段目の定九郎」

    VTR「仮名手本忠臣蔵」五段目山崎街道(團十郎)

    河竹「猪が来たので驚いて、一旦隠れて、出てくると、勘平に撃たれる。いかにいい形で死ぬかという。これは、初代中村仲蔵が作った型。初めて座頭役がやる役にしてしまった」



  • 23:17 太田「今のを見ると、拍手を送ったり声をかけたくなる。外国の人から見ると不思議だろうな」 #kabuki #nhk #





  • VTR「女殺油地獄」(仁左衛門さん、孝太郎さん)



  • 23:18 太田「日本人がずっと抱えている、死に対するあこがれ? 外国人は死を下にすると思うが、日本人は死を上に持ち上げるのではないか? 仲蔵がやったような死の美化をする演劇は、外国にはない?」 #kabuki #nhk #







  • 23:19 河竹「わたしが調べた限りではない」 #kabuki #nhk #





  • VTR「コクーン歌舞伎 三人吉三」(勘三郎さん)



  • 23:20 河竹「芝居が身近すぎたので、趣味で見ている方が楽しそうだと思った」 #kabuki #nhk #





  • Na)歌舞伎作者を曽祖父に、演劇学者を父に持ったが、最初に目指したのは物理だった。



  • 23:21 河竹「物理が好きだったのは、数式が美しかったから。それが芝居の美しさと共通していたと、後になって気づいた。歌舞伎を知ろうと思うと、海外のものを知らないと、と思った」 #kabuki #nhk #





  • 河竹「だから、両生類なんですよ」

    太田「われわれは、先生がおっしゃる物理の公式とか、歌舞伎の型に対抗できないんじゃないかと思う」



  • 23:22 河竹「型から入って、型から出る。自分で膨らまして行かなければいけない。暫の隈取り、青いのは悪党、赤いのは正義、強さを表す」 #kabuki #nhk #





  • VTR「暫」(團十郎さん)



  • 23:24 太田「欧米人が真似できないと思うのは、所作とか日本人は個を消すことを目指す。時代をを全部背負って表現する。個性を出したいと思うのが、全部もみ消されてしまう。それが悲しさでもある。大きな一つの役者をそれぞれの時代時代で作っていて、一人一人の個性は消えてしまう」 #kabuki #nhk #







  • 23:25 河竹「個よりも典型。個を滅却する。女形はその典型だと思う。蕪木作者は”三親切”=役者・見物・座元に親切。作者に親切とはひとつも書いてない。三親切を守って、典型を作ることが作者の使命。だから型という典型を作る事につながる」 #kabuki #nhk #





  • VTR「弁天小僧」(菊五郎さん)

    河竹「その時代の典型、人物のあるべき姿、それが型だと思う」



  • 23:27 河竹「歌舞伎とは、人間の典型のドラマである。その時代のあるべき人間の姿を表現する。能は憂き世、あの世で生きようと考えた。歌舞伎は浮き世。どうせ死ぬならこの世で楽しく過ごそう」 #kabuki #nhk #





  • 河竹「“憂い世”と“浮き世”が、日本の特徴だと思う」

    河竹登志夫『憂世と浮世―世阿弥から黙阿弥へ (NHKブックス)




  • 23:27 河竹「現代は、浮き世」 #kabuki #nhk #







  • 23:28 河竹「なぜか、次々に支える人が出てくる。そしてそれを応援するお客が出てくる。それが本質かもしれない」 #kabuki #nhk #





  • 河竹先生、80歳を超えてなお、矍鑠なさっていて、ダンディでした。
    お話の内容も、わかりやすく、かつ本質をついていて、さすがだと思います。

      

    2009/10/10

    小林清親の「新東京雨中図」に、思いがけなくご対面@三井記念美術館

    日本橋の三井記念美術館で開催中の「夢と追憶の江戸 −高橋誠一郎浮世絵コレクション名品展−」を見てきた。
    この展覧会、会期が3期に別れていて、第1期は12日までなので、今日を逃すともう見に行けないことにきづいたのであった。 


    浮世絵の歴史に沿って、各展示室に陳列されていた中でも、写楽をはじめとする役者絵や吉原の花魁を描いたものなどが、目当てだった。どれも状態がよく、展示数も多すぎず少なすぎず、いい感じだった。
    そして、最後の展示室に、月岡芳年の芝居から題材を得た「松竹梅湯嶋掛額」の櫓のお七や、「船弁慶」を題材にした「月百姿 大物海上月 弁慶」、「安達原」を題材にした「奥州安達がはらひとつ家の図」、そしてあの小林清親の「東京新大橋雨中図」の実物が見られたのが、とてもうれしかった。






    小林清親については、杉本章子さんがその名もズバリの小説『東京新大橋雨中図』(文春文庫)を書いている。




    清親と杉本さんの作品を教えてもらったのは、中野翠さんのコラムだった。たぶん、『あんまりな』(毎日新聞社)ではないかと。






     

    で、 清親の弟子の井上安治については、杉浦日向子さんが『YASUJI東京』(ちくま文庫)という作品を描いていて、それも芋づるで、一連として読んだ。




    今回、清親の作品でもう1点「浜町より写 両国大火 明治四年一月廿六日出火」が展示されていて、これがまた、とてもわたし好みであった。


    江戸の浮世絵を見に行ったつもりが、思いがけず明治の浮世絵師・清親の作品に対面できて、しかもずっと見たいと思っていた「東京新大橋雨中図」の実物が見られたので、がんばって行った甲斐があったというもの。
    中期・後期にも芝居や役者絵はもちろん、清親作品も出るとのことなので見に行きたいと思っている。
      

    2009/10/04

    きものもアートだった?!@「肉筆浮世絵と江戸のファッション」展

    ニューオータニ美術館で「肉筆浮世絵と江戸のファッション」という展覧会が開かれているのを、twitterで「弐代目青い日記」の@taktwiさんに教えていただいたので、仕事も片付いたことだし!と行ってみた。

    そもそも、ニューオータニの中に美術館があるのなんて、ぜんぜん気付いてなかったわたくし…。
    日曜とはいえ午後遅い時間のため、そもそも人が少ない。
    最近、展覧会に行くと人がたくさんで、それだけで萎えることが少なからずあるので、これはうれしい。

    展示は、17世紀後半から、時代を追って肉筆浮世絵とひなかた、そして小袖(帯も少々)を組み合わせていた。
    肉筆浮世絵は、8月に江戸東京博物館でたくさん見たので、それに較べるとちょっと…とか思ってしまった。実は、一番最初に展示してある、サントリー美術館の「舞踊図」屏風が一番よかったかも…(汗)。
    とにかく江戸期の小袖をいろいろと見ることができたのがうれしかった。
    もちろん、布というのは、経年変化には弱いものなので、作られた当時の色とはだいぶ変化しているのだろうけれど、江戸期の刺繍や絞り、手描き、箔、地紋といった手間をかけた仕事を間近で見ることは、なかなか機会がないのでじっくりと。
    そして、一通り展示を見終えた後、振り返ってみたら「ああ、江戸期のこういう小袖っていうのは、単なる衣料品ではなく、美術品でもあったんだなぁ」ということを改めて感じた。

    近くで手仕事を見ているときには気付かない、全体の構図や色・柄の取り合わせの大胆さは、現代のきものにはない。
    展示から離れて見て、わかることもあるんだなぁ…。

    たとえば、寛文期の「黄綸子地雪輪竹模様小袖」。
    近くで見ていると雪輪がイマイチよくわからないのだけれど、離れて全体を見ると「なるほど!」と。
    公式サイトによると、この時代はすでに桃山期の影響を脱して、江戸独自の最初の流行とのこと。

    そして元禄期になると、友禅染が発達し、さらに、帯の幅が広がることによって、上半身と下半身の柄が分かれ、そこからさらに「腰模様」と呼ばれる、腰から下に模様を施すスタイルが流行していく。

    それが、江戸の人々の「粋」という美意識によって、「裾模様」と呼ばれるきものの裾の部分のみに模様を施すスタイルが生まれる。
    その例として展示されているのが「白綸子地松竹梅模様小袖」。

    また、逆に帯の位置に左右されない意匠としての「総模様」が誕生した。これは、現代の「小紋」に通じるデザインかな?
    その例が「白縮緬地垣楓模様小袖」。

    それにしても、こんな小袖をどんな女性が身にまとっていたのだろう? 一緒に展示されている浮世絵の題材になっているのは、ほとんどが遊女なので、やはり吉原あたりの花魁なのかな? 
    そして、きもののほとんどが国立歴史民俗博物館の所蔵品。やはり、一度、折りを見て、佐倉まで行くべき???

    こじんまりとした会場なので、点数は多くないけれど、なかなかステキな展覧会だった。
    特に、きもの好きな方には、オススメ。
    10月25日までが前期で、10月27日から展示替えが行われて、違う作品も見られるとのことなので、後期も見にいきたいな、と思う。


    ※上記で名前をあげたきものの画像は、「肉筆浮世絵と江戸のファッション 町人女性の美意識」で見られるので、ご参照ください。

    <参考になりそうな本>

    長崎巌監修『小袖雛形』(青幻社)

     

     

     

     


    長崎巌『小袖』(ピエ・ブックス)

     

     

     

     

     


    別冊太陽『小袖からきものへ 骨董を楽しむ55』(平凡社)

     

     

     

     

     

    戸板康二『元禄小袖からミニ・スカートまで―日本のファッション・300年絵巻』(サンケイ新聞出版局)